浄真寺お泊まり研修会(2009)
(*写真は講義中の風景です。)
去る9月5~6日、浄真寺お泊まり研修会を催しました。
このお泊まり研修会とは、お寺に講師の先生をお呼びしまして、二日に渡って先生の講義を頂く事は勿論の事、その後の夕食交流会や宿泊生活を通して、自身の問題や疑問等を全員で話し合い、深めていく事を会の目的として、毎年催しております。
今回で18回目となりました。
また、今回の講題は、『愚禿親鸞の誕生』という題で、お話を頂きました。
特に、興味を引かれましたのは「磯長の夢告」についてです。
この夢告は、まだ親鸞が範宴と名乗っていた時代、河内国磯長(大阪府南河内郡太子町太子)の聖徳太子御廟に参籠し、一心不乱に三昧行を勤めていた丑の刻の時、にわかに聖徳太子が親鸞の前に現れ出でて、お告げを下して立ち去ったというお話です。
そのお告げの内容というのが、以下の文です。
我三尊化塵沙界 我が三尊は塵沙界を化す 日域大乗相応地 日域は大乗相応の地なり 諦聴諦聴我教令 諦らかに聴け、諦らかに聴け、我が教令を 汝命根応十余歳 汝が命根は、まさに十余歳なるべし 命終速入清浄土 命終わりて速やかに清浄土に入らん 善信善信真菩薩 善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩をこの様な夢のお告げを信じるという事は、現在では考えられませんが、当時としては、これが文化として当然の事として成立していたそうです。
また、興味深いのは、お告げにも因果関係があるという事ですね。
夢のお告げというものは、お告げを下された者にとっては答えとなります。
つまり、お告げという答えの前に、自らの疑問があるんだそうです。
言ってしまえば、自らの疑問に対しての答えが欲しくて、御堂に籠もって行を行っていたという事ですね。
逆に疑問がなければ、夢のお告げを下されに行っても、効果はないのかもしれません。
兎も角、親鸞は、疑問を抱いたからこそ、夢のお告げを下されたんですね。
つまり、この「磯長の夢告」の内容というのは、親鸞にとっての疑問であったという事だそうです。
「日域大乗相応地」とありますが、親鸞にとっては、習俗化し、もはや別の教えと成り果てている日本の仏教界に対する疑問、日本において大乗仏教の華は開かないのではないかという疑問が既にあったからこそ、その答えとして、この夢告があったのではないかと、常盤さんはお話の中で、ご指摘下さいました。
以上の様に、目から鱗の様なお話ばかりでした。
これ以上は、流石に長くなりますので、この位で。
一日目の講義は、この様な形で終わりました。
(*食事中の風景①)
講義の後、参加者全員で後片付けしまして、夕食兼交流会となりました。
お弁当をつまみ、お酒を嗜みながら、今回の講義についての事、それとは全く別の話であったりと、話題は尽きる事なく、大いに盛り上がっておりました。
(*食事中の風景②)
多少お酒が入っている事もありますが、こういった場において、積極的に自分の考えを話し、また同じ様に相手の考えを聞いていくというのは、非常に大切な事として受け取っております。
この殺伐とした社会においては、話す・聞くという場が、あるようでありません。
実は、こんな基本的な事すら出来ていないのが、私たちの社会であります。
そういう社会であるからこそ、こういった機会は大事にしていきたいですね。
(*朝食後の後片付け中の一枚)
浄真寺お泊まり研修会二日目。
起床後、寝具の片付けや洗面を済ませ、朝の勤行となりました。
勤行は、正信偈同朋奉讃式第二です。
勤行後、朝食をとりまして、少し休憩した後、二日目の講義となりました。
(*二日目、講義の合間に休憩される常盤さん)
話の中身を事細かく書いていきますと、限りが御座いませんので、これで筆を置かせて頂きます。
以上、二日目の講義でした。
講義の後、質疑応答の時間となりまして、それが済んだ後、恩讀讃を斉唱しまして、閉会となりました。
常盤さん、貴重なお話、どうもありがとう御座いました。
そして、浄真寺お泊まり研修会にご参加下さいました方々にも、この場を借りまして、感謝申し上げます。
また来年も、常盤先生にお話を頂戴致します。
次回の浄真寺お泊まり研修会へのご参加、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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ところで、今月は、秋季彼岸会兼永代祠堂経法要が勤まります関係で、浄真寺定例法話会、聖典を読む会は
ところで、今月は、秋季彼岸会兼永代祠堂経法要が勤まります関係で、浄真寺定例法話会、聖典を読む会は
お休みです。
代わりに、秋季彼岸会兼永代祠堂経法要のご案内をさせて頂きます。
どうぞ皆様、友人知人をお誘い合わせの上、ご参詣ご聴聞下さい。