盂蘭盆会法要(2009)
(*写真は法要の風景です。)
去る8月15日、盂蘭盆会法要を催しました。
なのですが、それを逆に縁としまして、亡き方から私たちが問われる、それこそ実は、亡き方のため、先祖のため
としていた私たちの方が思いの中で生きているんだという事を問われてくる法要として、盂蘭盆会は大事にされて
いるんだと思います。
続いて、法要の式次第をご説明させて頂きます。
一 勤行 先 総礼 次 仏説阿弥陀経 音木有之 次 正信偈(草四句目下) 次 念仏三淘 次 和讃 初重(弥陀成仏のこのかたは) 二重(解脱の光輪きはもなし) 三重(清浄光明ならびなし) 次 回向願以此之功徳 次 総礼 一 御文 安心の一義 一 法話 本山同朋会館教導 松本 良平氏 一 恩徳讃 以上当日の式次第は以上です。
お経を頂いた後、お集まりの皆さん方とご一緒にお勤めさせて頂きました。
流石に、これだけの人数でのお勤めですと、その音量や調和たるや、凄まじいものがありますね。
まるで、地響きの様でした。
お勤めの後、少し休憩を挟みまして、松本さんのご法話となりました。
(*写真はお話されている松本さんです。)
して、お話を頂戴致しました。
お話と致しましては、この盂蘭盆会というものにちなんで、亡き方と私たちの関係性であったかと思います。
松本さん曰く、「私たちのお念仏は、ご先祖の供養のためのお念仏なのか、それとも、私たちが頂くためのお念仏
なのか」という事でした。
やはり、世間一般的には、自分自身がお世話になりました亡き方への供養のために、お経をあげたり、供物を捧
げたりという形をとるのが通例ですが、それを機縁として、そういう行為をする事によって、実は、自分自身が亡き
方から教えられてくる、つまり、迷いや苦しみが無い方に対して、モノを差し上げていた自分自身こそが一番迷っ
ていたんだという事を教えられてくるんだという事です。
生きている人間が、亡き方を心配している様で、実は、全く逆だったという訳ですね。
それが、全く実感出来ず、納得出来ないのが、私たちなんですね。
そういう私たちを憐れんで、南無阿弥陀仏、六字の名号という形を通して、私たちに教えを届けて下さっているの
が、阿弥陀如来であるという事です。
それこそ、年老いても尚、自分の子供を案じて、母親が手紙を送ってくるのと同じ様に、阿弥陀如来も、私たちを案
じて、手紙、即ち、南無阿弥陀仏を届けて下さっているんだという事でした。
それを頂く場の一つとして、この盂蘭盆会が、私たちのためにあるんでしょうね。
松本さん、貴重なお話、どうもありがとう御座いました。
そして、今回、盂蘭盆会法要に参加なさって下さいました方々にも、この場を借りまして、感謝申し上げます。
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ところで、来月は、秋季彼岸会兼永代祠堂経法要が勤まります関係で、浄真寺定例法話会はお休みです。
ところで、来月は、秋季彼岸会兼永代祠堂経法要が勤まります関係で、浄真寺定例法話会はお休みです。
代わりに、秋季彼岸会兼永代祠堂経法要のご案内をさせて頂きます。
どうぞご利用下さい。
どうぞ皆様、友人知人をお誘い合わせの上、ご参詣ご聴聞下さい。