七月のおみがき会&定例法話会(2009)
(*写真はおみがき中の風景です。)
去る7月27日、おみがき会&浄真寺定例法話会を催しました。
おみがき会は、仏具のお磨きや寺内のお掃除をしていく集いです。
おみがきやお掃除をする事で、単に自分たちのお寺を綺麗にしようというだけでなく、改めて聞法道場と
しての場を大事にしていこうという願いを下に、このおみがき会はなされております。
バタバタしておりまして、肝心の仏具のおみがき風景を写真に撮る事は出来ませんでした。
非常に残念でなりません。
(*写真は昼食の様子です。)
おみがき会の後、一同で楽しく昼食会に致しました。
浄真寺では、年3回のおみがき会の後の昼食は、毎回カレーライスを頂きます。
大分、忙しく動いているせいか空腹になりますので、そんな時にはカレーライスが最適です。
有難い事に、疲れた身体をカレーの薬効成分が癒してくれました。
ごちそうさまでした。
(*写真はお話されている清谷さんです。)
出張所所員の清谷真澄氏をお招き致しまして、お話を頂戴致しました。
お話と致しましては、浄真寺のおみがき会にちなんで、自分達が磨いた仏具の名前やその意味についてお
話しして頂くと共に、ご縁のお寺や自宅のお内仏のお荘厳が、自分達に一体何をもたらしてくれているの
かをお話しして下さいました。
(*写真はおみがき後のお荘厳です。)
それは、お寺やお内仏に対し、仏具を配し、さらにお花や供物を備えて、お荘厳していくという事は、そ
れはつまり、私達の前に、仏の住まう浄土を表現し明らかにするという事であるんだと仰って下さいまし
た。
単に、汚れたから綺麗にするというだけではなく、寧ろ、何もしないでも汚れていってしまう世界の中で
住んでいる私達であったという事を、はっきり自身に確認させるために、何処までも汚れない澱まない世
界である浄土を表現するのが、お寺やお内仏に対してのお荘厳だという事です。
さらに言えば、その荘厳された浄土の前に、最後に自分自身が備えられなければ、無為に終わってしまう
んだという事です。
備えられた自分、つまり、穢土の只中を生きて汚れてしまう自分であったという事が、備えられる事によ
って初めて、浄土の方から明らかにされてくるんだという事を、お話しして下さいました。
清谷さん、貴重なお話、どうもありがとう御座いました。
そして、今回、おみがき会、並びに法話会に参加なさって下さいました方々にも、この場を借りまして、
感謝申し上げます。
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ところで、来月は、盂蘭盆会法要が勤まります関係で、浄真寺定例法話会はお休みです。
ところで、来月は、盂蘭盆会法要が勤まります関係で、浄真寺定例法話会はお休みです。
代わりに、盂蘭盆会法要のご案内をさせて頂きます。
どうぞ皆様、友人知人をお誘い合わせの上、ご参詣ご聴聞下さい。